今の自分の考えや思考は
何故?そうなったのか?
もともとは
赤ん坊
として産まれ
産まれた時の赤ん坊には大きな意思がない
物心ついた時には
ある程度の
自分が形成されている
最初は
親の影響
がとても強い
感じ方や
話し方などは
親の影響をもろに受ける
パパ
とよぶ家庭もあれば
お父さん
とよぶ家庭もある
ちなみにウチの子は
「とぉ~しゃん」
理想で言うと
「とぉ~ちゃん」
って呼んでほしいが
ココはナカナカうまくいかない
昔の人は
父上とよばせてた
父上って...
どうやったら家族である父親を
そこまでの敷居の高さに持っていけるのか?
っまぁー
それぞれの
家庭に
それぞれの
過程があり
それぞれの家族で
様々な
ルールがあり
その影響を受け
子供は少しづつ少しづつ
成長して
1人の人間としての構築が出来上がる。
ただし
ある程度の成長を遂げると
親離れして
それぞれの置かれた環境で
第2の人格構築期に入る
幼稚園
小学校
中学校
大学学校
専門学校
アルバイト
職場
そこで出逢った人達で
また再び
自分と言うものを作り上げて行く
そんなコトを
考えていると
自分の考え方や感じ方は
いったい?誰の影響で
そして誰のお陰で今があるのか?
親以外で自分の人格を作ってくれた人?
そんな人達を
10名あげてみた
(あげればキリが無いぐらい出たけど厳選して10名にした)
様々な人が上がった
・小学校の先生
・中学校の先生
・Danceで世の中を変えようとした先輩
・美容師になった時、技術を私利私欲なく教えてくれた先輩
・経営の基盤を教えてくれた先輩
考えてみると
出逢いはホントに大切である
人は出逢うべき人に
出逢うべき場所で
出逢うべき時に
必ず出逢うものである
しかも、一瞬早すぎず
また 一瞬遅すぎず
とても素敵な言葉だ
正にその通りだと思っている
そんな10名の人達に
「2019年逢いたいなぁー」
逢って何があるわけでも
無いかもしれないけど
逢って感謝の言葉を言うことによって
その逢った人にしかわからない何かが
ある気がしたので
実行することを心に決めた
普通に思うと
10名に会うだけなので
そんなに難しく感じ無いかもしれないけど
ハッキリ言おう
メッチャ大変
まず連絡先が分からない
もしかしたら
亡くなってる人もいるかもしれない
そんな中
とりあえず
一歩前へ出ようと思い
とりあえず
連絡して行こう
まずは
小学校の先生へ連絡を入れようと思い
小学校へ電話を入れた
小学5年生・6年生の時の
担任のK先生
先生には
ホントに感謝をしている
メッチャ
アホな俺
を諦めずに
まっすぐな眼差しで教育してくれた
ホンマにアホすぎて
話にならんぐらいアホやった
アホなエピソードは
メッチャあるけど
特にアホやなぁー
って思ったエピソードが
小学校の廊下と教室の間に
窓があったのだが
当時のガラスはおそらく
メッチャ安物のガラスで
チョットあたっただけで
パリィーーーンって
割れる
ただ不思議なことに
そのモロく何とも言えない
パリィーーーン
って音が
メッチャ聴き心地が良くて
その音が聴きたくて
ホウキで
窓ガラスを全部割った
ことがある
ホウキの持つところを
ガラスにチョコンと当てると
綺麗な音を立てて
見事に割れる
このガラスで、こんな綺麗な音を出せるのは
俺しかいない
俺の右に出るものは、いないだろう
そう思いながら割った覚えがある
その時のコトが記憶の何処かに
残っているのか
人生の中で今まで聴いてきた音楽で
1番好きな曲は何?
って聞かれると
Michael Jackson
JAM
って答える
この曲は曲の冒頭に
ガラスの割れる音
が入っている
ちなみに
2番目に好きな曲は?
って聞かれると
George Duke
Broken Glass
なんと
この曲も
グラスが綺麗な音を立てて
割れる
所から音楽が始まる
ちなみに
小学校の、そのガラスは
Broken Glassの
割れる音に似ている
(一度聴いてみて下さいホンマええ音やで)
っまぁーでも
常識で考えたら
ただのヤバイ奴だ
窓ガラス割るんやから
普通なら
先生がそのガラスを割ってる姿を見たら
間違いなくブチギレだろう
割る時は音を聴きながら気持ちよかったが
全てを割り尽くした時には
廊下も教室も散々な事になっていた
そして今思っても不思議なのだが
悪気がなかった気がする
悪いことをして非行に走ってる訳ではなく
ただ音を聴きたい
そんな気持ちだった
ホンマのアホ
そして学校のチャイムがなり
先生がいよいよ
教室に入って来た
先生の顔は
正にこんな感じだ
そして心の中は
こんな感じだっただろう
入ってくるなり
先生が一言
先生「どうしたんコレ?」
俺「先生、俺が割ってんメッチャエエ音すんねん」
っうぉーーーアホ!ーーー
自分から言うなんてアホ中のアホ
ただ俺は何の悪気もなかった
その時の雰囲気は
周りのみんなは
うわぁーエライコッチャーって
感じやったと思う
先生は何も言わずに俺の方に歩いて来た
先生が俺の目の前に立ち
同じ目線になる為にしゃがみこみ
俺の肩を両手で持ち
真っ直ぐに目を見つめながら
こう言った
先生「しょうちゃん
コレはしょうちゃんがやったんやな」
俺は目を見つめて頷いた
先生「しょうちゃんは正直やなぁ
先生なぁ
しょうちゃんのコト怒らへん
何でかって言うとな
物はいつか壊れるし
物はいつか無くなる
だから先生は怒らへん
でもな
しょうちゃん、よう聞いてや
物はいつか壊れるし
物はいつか無くなるけどな
その時が来るまで
大切にしてあげる心を持とう
やから先生怒らへん
一緒にガラス片付けよ」
(ドラマのセリフみたいやな)
その時には?あまりピンって来なかったけど
今思えば、この出来事はヤバイ出来事だ
その言葉が頭の片隅に少しだけ残ってたから
俺の人生の中では
物は壊れ
物は無くなる
だから何かあっても
大概のことは何とも思わない
20代の頃に
お付き合いしていた
彼女とお揃いの指輪を買いに行った
不思議なもんだ?
別に何が変わるわけでも無いのに
ただ指に着用するだけの
カップル定番のペアリング
何があるわけでも無いのに?
でも!買わなければいけない
しかも
お付き合いして
直ぐに買いに行く
ただ何故か?ペアリングは
テンションが上がる
そんなペアリングを当時買った
先程も言ったが
なんかテンションが上がる
とりあえず
ペアリングなので
毎日毎日
とりあえず指にリングをつけていた
仕事の時も
呑みに行く時も
遊ぶ時も
寝る時以外はだいたい、つけている
だが
そんな幸せも束の間
悪夢は突然やってくる
ペアリングを購入して数日後
彼女とお食事に行った時
ふと手を見ると
彼女がペアリングを
していない
っまぁーーー
つけ忘れたのだろうと
その日は
リングのことを思い出すこともなく
楽しい時間を過ごした
人間の記憶
と言うのは
素晴らしい
他の事を詰め込めば詰め込むほど
どんどん忘れてくれる
忘却曲線
人は1日のうちに
半数以上の記憶が無くなる!
20分後 / 節約率58%
1時間後 / 節約率44%
約9時間後 / 節約率36%
1日後 / 節約率34%
2日後 / 節約率28%
6日後 / 節約率25%
1ヶ月後 / 節約率21%
※節約率は忘れる量ではありません
人間にとって
記憶力と言うのは大切だが
どちらかと言うと
記憶を忘れる力の方が大切だな...
起こったことを全て覚えてたら
メッチャしんどいやろな
忘れることは素晴らしい
ペアリングの記憶が薄らぎ
何も気にならないまま
数日後
彼女とお食事へ
先日のことは記憶に無かったが
ふと
手を見ると
また
リングをつけていない...
このまま流すか?
問い詰めるか?
頭に迷いが出たが
とりあえず
忘れただけだろう...
そう思う事にした
忘却曲線...
こうなって来ると
普通は
忘れるものも
絶対に忘れない
忘却曲線なんて関係ない
逆に鮮明に頭によぎる
人間はホントに不思議だ
人間の構造上
忘れるように人間は形成されているのに
全く忘れない
そして
数日後
またまた彼女に会う
うーーーん
ヤッパリ
ペアリングをつけていない
そして
ようやく切り出した
俺「アレッ指輪どうしたん...」
彼女「...」
...
数秒の沈黙
彼女「無くしてん...」
彼女「ごめん...」
独占意欲の強い男性なら
「お前ぇ俺のコト好きちゃうんか!」
とか
「お前の愛はそんなもんか!」
とか言う
変な男いるけど
(コレはコレで愛があるけどな)
その時の俺はK先生のおかげで
俺「そうなんや、また一緒に選べるし
良かったなぁー
物はいつか無くなる
物はいつか壊れる
やから気にせんでエエで
また買いに行こう」
彼女「うん...」
今のお嫁さまが聞いたら
怒り奮闘なエピソードですが
この彼女こそ
この人です
現お嫁さま
あの出来事以来も
様々なコトがあったけど
何事も
イロイロええ方に解釈して行って
こんなヘンテコな子供まで生まれました
そんなこんなも
あの時のK先生の
教えのおかげかもしれない
そんなK先生にお会いして
感謝の気持ちを30年越しで伝えたい
「あの時はありがとうございました」
その言葉を言いたい
連絡を取るため
当時通っていた小学校へ連絡を入れた
小学校の事務員san(以下小J)
「はいK小学校です。」
俺「1989年の卒業生の小崎と申します
当時お世話になった先生にお会いしたくて」
小J「先生の名前は?何て先生ですか?」
俺「K先生です」
小J「少し時間いただきますが
調べてみますね
また折り返しお電話いたします。」
そんな軽いやり取りで
電話を切った
意外と簡単だな
思った以上に楽にK先生に逢えるコトに
喜びを感じ
電話を待つコトにした
そして数日後
小学校から電話があった
小J「あっ小崎さん...」
俺「はい!」
簡単に見つかって
チャンチャン
って...
そんな簡単では無い
小J「すいません名簿に名前が無くて
おそらくK先生は退職されてますね」
俺「マジですか!」
俺「どうにかして見つかりませんかね」
小J「これ以上のことは個人情報保護法案が
あるので、どうしてあげることも出来なくて
ごめんなさいね」
俺「そぉーっすよねぇー」
俺「ありがとうございました」
ありがとうございました
とは言ったものの
振り出しに戻った
振り出しに戻ったと言うよりも
逆に四方八方を塞がれて
次の手が思いつかん...
イロイロ考えてはみたが
時間が過ぎるいっぽうだ
仕事もバタバタあるし
それだけに時間を費やしてられない
そんなある日
自分の子供を何気なく見てる時に
あっ!
そう言えば
小学校6年生の時に
K先生が子供産まれたって言ってたな!
みんなで「くす玉」作って
おめでとう
って言ったのを思い出した
たしか...
名前?なんやったかな?
ん...
そや!
たしか
修一や!
※名前は偽名です
修一って付けるって言ってたな!
すぐさま
SNSで名前検索をした
すると
1名それらしき人物が浮上した
K 修一
基本データーを見ると
関西出身
残念ながら
年齢がわから無い
そして
SNSのウォールを読んでいくと
所々に12年前?とか
10年前?とか?
当時何才?とか
そんな書き込みがあった
そして
その年と年齢を合わせると
なななんと
俺が小学校6年生の時に
K 修一sanは
産まれている
可能性がだんだん広がってきた
とりあえず
SNSのメッセージで
自分の思いを投げる
思いが届けばいいが
なんせ俺が怪しい!
怪しすぎる!!!
数日間
様子を見たが
なかなか
既読にならない
ご本人のウォールも
実際は2015年11月で
書き込みが終わっている
約3年ほど動かしていない
見るはずがない...
またも
振り出しに戻った
SNSの基本データーを改めて確認
基本データーをよく見ると
勤務先が
株式会社S社で勤務になっていた
個人情報の関係で
ほとんどが電話を
取り次いでもらえないと思ったが
とりあえず電話してみるコトに
S社の方(以下S社)
「はい株式会社S社です」
俺「すいません、お尋ねしたいのですが」
S社「はい、どのようなご用件でしょうか?」
俺「会いたい人がいまして
その会いたい人がそちらで
勤務されてるみたいで
K 修一さんって方なんですけど...」
そう言うと
いきなり口調がキツくなり
S社「個人情報なのでお伝え出来ません!」
俺「どうしてもお逢いしたくて」
S社「お伝え出来ません!」
説明をするスキも無く...
電話を切った...
恐らく闇金などの取立屋とでも思ったのか
またまた
振り出しに戻った
もう!こうなったら
自分の子供2人を連れて
闇金感無く
その会社を訪ねようか...
そうも考えたが
ホントに修一sanはK先生の子供なのか?
違っていたら
ただの馬鹿である!
ってか
すでにバカだ!
どうするコトも出来ないまま
日々が過ぎる中...
K 修一sanのSNSのウォールを見ていた
そしてまた
K先生にお逢いする案が浮かんだ!
K 修一sanのウォールの
タグ付けしてる人に
メッセージをしてみたらどうだろうか?
しかも
タグ付けから
その方のウォールを拝見し
明らかに
見た目も
中身も
人の良さそうな
そんな人を探してみて
連絡を取ったら
うまくいくんではないか...
そんな探し方をしていたら
いかにも!
いかにも!!!
良い人って人が
タグ付けされていた
井上竜夫san
※名前は偽名です
しかも
年に数回ではあるが
SNSに投稿している
かなり可能性を感じる
ここまでを
図で書くと
こんな感じだ
ドンドン複雑になっている
そもそも
何度も言うが
K 先生の子供が修一じゃなかったら
一巻の終わりだ!
っまぁー
そう思いながらも
動き出した船を
ココまで来たら止めるわけには行かない
とりあえず
井上sanへメッセージを送る
もうこれ以上ややこしくすると
取集つかないので
とりあえず
待つコトにした。
2018年06月24日
井上さんへメッセージを送った
メッセージを送ってから
1日
そして...
1日...
そして...
1日
忘却曲線
ドンドン
ドンドン
記憶から
薄れて行く...
1ヶ月...
そしてまた...
1ヶ月...
既読になったか?
なって無いかも...?
記憶から薄れて...
何も記憶に残っていない
2018年12月13日
NYNY本部に電話がなった
NYNY事務員「小崎さんKさんって人からお電話です。」
!!!!!
ん...!!!
おれ「はい、お電話変わりました小崎です」
K「あ~~~小崎くんか...俺やKや」
俺「先生!」
K「おーーーそうやそうや
なんか息子の友達から聞いて
ビックリしたわ!
小崎くんやろ
覚えてるわ」
俺「先生にお逢いしたくて
探していたんです、すいません
イロイロ周りにご迷惑かけたみたいで」
K先生「いやいやかまへんねんやで
俺なぁーもう退職して
ゆっくりしてるんやぁ
やから学校電話しても
連絡取れんかったんや」
今までの経緯を
一通りK先生とお話しして
2019年01月に
当時の同級生を数名誘って
お逢いするコトが
決まった
正に奇跡である
あの頃
あの時に
あの場所で
もし先生に出逢ってなければ
この人達には?
出逢えて無かったかも知れない
そんな奇跡
2019年01月
数名の同級生と
K先生とお酒を飲んだ
みんな変わってないし
K先生も変わっていなかった
ただ
見える景色が少し変わってた
あの頃
たった12歳で
当然
お酒も呑めない
当然
恋も全然してない
当然
考えも漫画の世界観で
完結している
服装も
見てくれも
考え方も
当然30年の月日で
見える景色が変わってた
でも
変わら無いのは
笑い方や仕草や話し方や口調
ホントにあの頃にFlash Backした
変な感覚
今回
こうやって
人生の恩師にお逢いして
聞きたかったコトを聞いてみた
自分はどんな考えを持っていて
自分は?どんな子?だったのか?
K 先生「小崎くんわぁー
正面から受け止めるわけで無く
かといって
後ろ向きでは無く
いつも斜めから、色んなことを
考えてたような、そんな子やったな」
斜め...
先生
全然わかんないですけどぉー
30年前の自分を
なんか少しだけ感じれた
そんな今日この頃でした
先生や同級生に会って
色んなコトを感じて
昔話から始まり
今の生き方
生い立ちが沢山あって
色んな人生を歩んでいる
そんなみんなに
力強さを感じた!
ホントにありがとう
急に2018年12月に
先生に会うこと決まって
同級生のみんなに
イキナリの電話で
集合かけたのに
忙しいのに集まってくれて
同級生のみんな
ありがとう
先生が
元気でホンマ良かった
いつまでもいつまでも
元気でいて下さい
また呑みましょう
さぁーーー
ココからも
心のボルテージを上げてこ
あと9名の方に
お逢いするの
楽しみやけど...
苦労が凄そうやなぁ
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