生い立ち...そのヨン

二度ともう・・・二度と美容師をしない!


そう心に決めて以前の会社を辞めた


とりあえず鳥かごの中から出れた

そんな感じで清々しかったが

24歳って言う年齢は

働かないで、おまんまが食える歳ではない

(ちなみに貯金はこれっぽっちもない!!!)

なんとなく頭の片隅に、そんなことを思いながらも

あまり仕事とお金に本腰が入らない…

っまぁ〜〜〜どっかのカフェでバイトでもしながら

なんとなく生きて行こうかなぁ〜〜〜

そのうちジュウザのように

そう心に決めて以前の会社を辞めた


ええ人生が待ってるやろ

(ハッキリ言って世の中そんな甘くはない・・・若いな)



って




そう思ってた時に

沖之永良部島に住んでいた

オカンから電話があった

「何もしてないのであれば一度里帰りしなさい。」

(里帰りと言っても生まれも育ちも大阪だ)

っはぁ〜〜〜〜

里帰りか・・・

金もないし・・・

別に何もやる事を決めていなかったので

とりあえずばぁちゃんの顔でも見に行こうかなぁ〜〜〜

そんな感じでとりあえず

船に乗って2泊3日

船に揺られながらユラユラユラユラ

(飛行機で行くと片道4万円以上する・・・外国行くより高い)

とにかく大阪から船で行くと

メッチャメッチャ

時間かかる

船酔いしながらも

とりあえず

沖之永良部到着



到着すると

オカンが港に迎えに来ていた

とりあえず

家に向かう途中の車の中で

「沖之永良部住んで美容室でも開業したら」

おいおいおいおい

いきなりか!

とりあえず

何か話をすると

いつもいつもイライラお互いしてしまうので

無視をしてみた



「・・・   ・・・」




「あんた将来どう考えてんの・・・」

「結婚は?」

「そんなぷらぷらしてたらあかんで」

「プー太郎なんかなったらろくな人生ちゃうで」

「お酒ようのむんか?」

「どうせ、ろくなもん食べてないやろ」

うんたらうんたらうんたら

家に着くまで

一方的に喋られた・・・



そしてようやく到着

港から家までたいした距離ちゃうのに

メッチャ長く感じる時間

やっと

家に着いた

すると

ばあちゃんが笑顔で待っていてくれた


「お帰り、よう帰って来たな」


どんな時も

ばあちゃんは、いつもいつも優しかったのを思い出すな

ゆっくり、ばあちゃんと話ししようと思ってたら

いきなりオカンが

荷物置いたら、すぐ行くで!!!



そして

再び車で出かけることに・・・

この島の風習で「ご先祖様」に挨拶を先にしないといけない

ってことで

お墓まいりだ

お墓まいりはいいのだが

その車の中でも

どうたらこうたらどうたらこうたら

とにかく

言葉のマシンガンが続く

お墓まいりも終え

家に帰るために車に乗るのだが

いきなり

家とは違う方向に車を走らせた


「とりあえず島見とき」


別に何回も来たことあるし

何回も見たことあるのに

島巡りを車で永遠走る

そして

もちろん

その間も

どうたらこうたらどうたらこうたら

っまぁ〜〜〜〜

ほとんど無視状態やったけど

ようやく島1周して

家に着いた・・・

あ〜〜〜やっとゆっくり出来ると思いきや


いきなり


「あんた車の免許取りに沖縄行っとおいで」

(24歳まで車の免許はなかった)



そう言って

いきなり分厚い封筒を渡して来た

「あげるんちゃうで、貸したるんやで」

封筒の中を見ると

札束がごっそり入ってた

まっまじか・・・


圧倒されて

とりあえず

「いらん」

そう言ったが

なんとも強引なオカンなので

「せっかく、こんな機会やのに、こんな機会じゃないと沖縄なんて行けないから」

「沖縄に行きなさい!」

そこから永遠、沖縄の話をされた


車の免許?なのか沖縄に行って欲しいだけなのか?

よぉ〜〜〜わからん感じやったけど

とりあえず

次の「下りの船」(沖縄行き)で

沖縄行きは決定してしまった。

そんなに

興味もなかったが

っまぁ〜〜〜

オカンと一緒にいると

しんどいので

ええかな




そして沖縄へ

当時、沖縄は本州の人は

あまり住んでなくて

島の人達が多かったな

沖縄のこと何も知らんかったけど

とりあえず教習所の事務員の人が港まで迎えに来てくれていた

車に乗って

数時間車を走らせる

着いたところがココ

普天間自動車学校の寮と言う名の

マンションの1室


(Googleearth)


沖縄県沖縄市与儀って所

沖縄なんで

結構期待してたけど

周りにはホンマに何もない

中古屋センターだらけ

大阪と何も変わらない

あ〜〜〜〜〜期待はずれだった

もっと青い海に

最高のリゾート地って感じやと思ったのに



しかも

部屋に行くと既に

18歳のガキ共が

ギャーギャー騒いどる

7人はいたか

そんな中で生活せなアカン・・・

絶望的だった

しかも

よぉ〜〜〜わからんけど

既に18歳やのに

酔うてる

「残波」

って言う泡盛持って



なんやわからんけど唄をみんなで唄っている


(残波CM・・・当時TVでずっと流れてた)


どえらい風景やった

第一印象は、まさに



最悪


そして

1人の子が話しかけて来た

「にぃ〜〜にぃ〜〜〜はどこからきたの?」

「うっぷ・・・」

テレビで見る典型的酔っ払いのワンシーンだ



「大阪やけど」



そう言うと

いきなりみんな大爆笑!!!




「うわっ!!!大阪弁」



「すごっ!大阪弁!」



みんなが口々に大阪弁に興味を示していた

俺「何が、そんなおもろいいんや」

そう言うと


また大爆笑だ!!!


後で気づいたことやけど

当時は大阪弁を聞くことがTVでもそれほどなく

ホンマに珍しかったみたいで

いきなり人気もんになってもうた

しかも7人とも

沖之永良部の子達で

春休みの間に車の免許を取りに来ていた

っまぁ〜〜〜初日は

なんか掴めた気がしたが

明日から毎日不安やなぁ〜〜〜

って思いながら

騒がしい生活が始まった

しかも

初めて沖縄に到着したこの日


私の就寝時間はam5:00だった


とにかく!とにかく!

うるさかった!!!!





そして次の日

教習所専用のバスに乗り

教習場へ


周りを見渡すと

20歳をこえてるのは自分だけみたいだった

みんな高校卒業してすぐ免許取りに来ていた

そして受付をしていると

事務員の人に


「小崎さんですか大阪からこられた」


俺「はい」


「あっちょっとお待ちください・・・」


そう言われて

待っていました

かれこれ20分は待ったかな

沖縄のチョットは20分・・・この時そう感じた



「小崎さんこちらへどうぞ」



そう言われ事務室の奥の方へ連れて行かれた


奥へ行くと扉があった


当時24歳の俺でもわかった

この扉の向こうには

おそらく偉い人がドンって構えているのだろうな

おそらく昨日の若者が寮で騒ぎまくったから

一番年上の俺が怒られるんやろな・・・



そう思って扉を開いた



まさに思った通りの

どう見ても偉い人って感じの

風貌の男性が立っていた


「あ〜〜〜そこにかけなさい」


あちゃ〜〜〜〜

長なるパターんやわ・・・・

そう思っていると


「よく大阪から、こんなへんぴな所に来てくれたね」


「沖縄は初めて?」


「せっかく来たのだから沖縄満喫して行きなさい」


そう言って

茶色い封筒を俺に手渡した


「それ、大阪から来てくれたから」


茶色い封筒の中を見ると

3万円入っていた


俺「えっ・・・」


「沖縄は楽しいからね、たくさん遊んで美味しいもの食べなさい」


俺「いやっ」


「いいのいいの」


「あと教習所のバスも自由に乗りなさい何処まで行ってもタダだから」


俺「はぁ〜ありがとうございます」


いきなりの出来事にビックリやった

なんでも大阪からの初めて受講生だったらしく

来てくれてありがとうの気持ちで3万円くれたみたいだ

(こんなので商売が成り立つのか)


大阪では考えられないことが

いきなりやってきた




きわめつけは


「寮はどうかな・・・住みにくくないかい」


「免許が取れても寮をずっと使ってくれてもいいからね」


「電気代・水道代・ガス代全部タダだから」


「思う存分沖縄を満喫して帰りなさい」


はっ




全部全部全部ただ





全部ただ・・・




ありえないような

本当の話



そんな

こんなで沖縄の生活が始まった




教習の時間も

沖縄は不思議で

先生が隣に座って

車の講習のコトよりも

日常会話をしてくる



「沖縄はイカが美味しいよ〜〜〜」


「アーサー汁はのんだ?」


「泡盛もおいしいねぇ〜」





そんな話をしてくるから

それに答えてると


「いまブレーキ!!!!!!」

みたいな感じで

いきなり

車の講習のスイッチが入る

よくわからない講習だが

ストレスを感じることは一度もなかった



「小崎くんイカ好きか」

俺「はい」


とくにこの先生はよくイカの話をする


「今日、寮にイカ持って行くは」


俺「???????」


俺「今日ですか・・・はぁ」


「夜にイカ釣り行くから」


そうして

夜になり、その先生が

山盛りのイカと魚を持って来た


俺「めっちゃ釣れたんですね」


「いつもこれぐらい釣れるよ」


そう言いながら台所でスパスパ捌いてくれた

あの時の刺身の味は忘れられない・・・



次の日も、その先生はニコニコしながら

「イカスミ汁食べるか・・・」

って言って来た


俺「はぁ」


事務員の女の子に調理させると言って

教習所の横の小屋で

事務員の女性2人が作っていた

(仕事は?大丈夫だったのか?)


先生が何人かの受講生を連れて来た

先生「お〜〜〜旨そう」

そう言いながら

外に出て行った

何してんのかと思ったら


道に生えている

草をちぎって来た


「これ入れたら美味しさが倍増するぞ」



えっまじか!



しかも水洗いすることなくその草を入れた・・・



まさに違和感の連続だ

お椀に盛られて出て来た


「イカスミ汁」


予想通りの真っ黒な汁だったが

その汁にプカプカ浮かぶ

草が・・・・

何よりも気になる

とりあえず

食べて見ると



これまた美味い!!!



本当に美味い



ただ


草は・・・いらない!

やはり苦い





バスも無料で使っていいと言うことだったので

バスに乗って色々行った

教習所から近いところで

面白いところと言えば


「北谷」だった


当時、北谷が沖縄で一番遊びどころのある所だった

今みたいにネットも何もないから

足を使って色々探索した

軍服売ってるところで

こんな可愛いブーツを見つけたのも昨日のことのようだ


(軍服屋で売っているミッキーブーツ)


北谷

は当時毎日フリーマーケットを開催してて

フリーマーケットに行くと

店員によく声をかけられた


「にぃ〜にぃ〜今日コザの交差点で歩いてるの見た」


まっまじか・・・

そんなに目立つのか・・・

俺の格好は


そう思ったな


でも沖縄の人は

みんな、陽気でいい人だった


何不自由なく

毎日毎日順風満帆な日々だった






沖縄のクラブもよく行った

那覇のクラブで

「スラム」ってクラブだった

アメリカの軍人ばかり

入り口にいる店員も

メッチャ雰囲気あって

本物のGangな空気がかっこよかったな

DJもバリバリのHipHopをかけてて

ゴシゴシスクラッチしてて

これがHipHopかぁ〜〜〜って

心に感じたな

映画「カラーズ」や

「ニュージャックシティ」の

空気感が感動やった

それまでも、メッチャHipHopレコード持ってたけど

ゴリゴリのHipHopにあまり興味なかった

この沖縄を境に

好きになったなぁ〜〜〜〜





そんなこんなの

沖縄生活満喫中だったが

たまに

大阪で働いてた時の

美容室のお客様から電話がかかってきてた

なんでも

お店で俺の電話番号を聞いたらしい

当時は個人情報もあったもんじゃないなぁ


お客様「どこにいるの?

えっ!沖縄!何してるの?

私の髪の毛ボサボサよ、小崎さんしか

私の髪綺麗に出来ないから、必ず

大阪帰ってきたら連絡ちょうだい

待ってます。」


いま思うと

電話番号まで聞いて

電話くれて

沖縄でフラフラしてて

大阪に帰るか帰らんかも分からん

俺のために、ありがたいもんやったな

しかも1人2人ではなく

数人からたくさんの、お電話をいただけたな

(個人情報...)

それでも

大阪に帰ろうとは思わず...




そんな

沖縄生活も落ち着いて来たが

毎日毎日

寮では酒盛りだ

泡盛の歌を

飽きずにず〜〜〜〜〜っと唄っている

沖縄の色々な人達とも仲良くなり

寮と言う名のマンションは

いつもいつも賑わっていた



しかも目的が

俺の大阪弁を聞いて

おもいっきり笑って

次の日も頑張る

みたいな

そんな感じだった


住むところもタダ
光熱費もタダ
美味い飯もタダ
酒もタダ


なんとも不思議だが

そのサンで言ったよぉ〜な

ジュウザのような人生だった

いや

あの頃の俺はまさに

ジュウザだ!

いや!


ジュウザよりジュウザだ!



夢が叶い

毎日毎日毎日毎日

楽しい日々をおくっていた

無事に車の免許もストレートで合格し

寮にいたメンバーも

合格して沖永良部に帰って行き

何もかもが上手く俺を中心に

世の中がまわっている感覚だった




合格しても

相変わらず

寮に住みつき

先生や沖縄で友人になった人達は

飯や酒を持ってきては

騒ぎ

楽しかった





ただ...





なんか





違和感を感じた







楽しいけど



なんか



違和感があった



なんなんやろ?

この変な違和感は?






当時...

むしょうに、それが引っかかってた

車の免許を取ったのが

約3週間ぐらいで取れたので

そこから


約5ヶ月近く


沖縄で

そんな感じの生活を

していた...



お金もさほど減ることがないので

焦りもなく

順風満帆なはずが




日が経つコトに




違和感を感じる...






なんやろ?




結構真剣に悩んだ




最終的に

答えは...



「何か楽しくない...」




決して

みんなと

お酒飲んだり遊んだりクラブ行ったり

それは楽しいことは楽しいのだが




でも




「何か楽しくない...」




それに気づいてから

本当の答えに気づくまでは

そう時間はかからなかった





いつものように

皆んなが呑みに来て

バカ笑いして

メッチャおもろかったか



ある1人の男の子がこう言った


「まこっちゃんと呑むと!元気になる」

(何故かみんなまこっちゃんって呼んでた)

「明日からまた仕事頑張ろうっておもう」

「仕事しんどいけど、明日も頑張る」

「また明日、来ていいかな?」





彼の言葉で

本当に目が覚めた

いつのまにか

自分は...




何も頑張っていない

ただただ毎日

朝起きて遊びに行って酒飲んで笑って

毎日が同じルーティーンで


自由と言えば自由だが

本当の自由とは程遠い

つまらない人生


頑張ることが無ければ

しんどいことも無い

しんどいことが無ければ

頑張ることもない

頑張ることがなければ

達成感は無い



結局

おもろい

楽しい

ヤッタァー

バカ笑い

そんなことも無くなる



あんなに

大阪にいた時は

メスゴリラ先輩や嫌がらせ店長に

けちょんけちょんに言われ

あんなしんどかったけど

沖縄で自由に住んでるコトに比べたら



あの時

メッチャ頑張ってたなぁーって

しんどかったけど

辛いこといっぱいあったけど



でも



ホンマに

楽しかったなぁーーー


ホンマに楽しかった



やっと気付けた


それまでに約6ヶ月かかった


そして

文房具屋に行って

画用紙と色鉛筆などの文房具を

たくさん買って

沖縄の想い出になる絵を描いた



変なおっさんが両手に

残波

を持ってる

そんな絵



その絵を完成させて

教習所へ行き


所長さんへ、お渡しした


俺「イロイロありがとうございました。

また大阪帰って、思いっきり頑張ります」



所長「いつまでも居てくれていいのに

小崎くんがいた方が、なんか明るい感じだったから」



所長「それでも行くのかい」



まさに漫画の感動シーン一コマのようだった

沖縄に半年

短いようで長い月日を過ごし

大阪へ帰ることを決意した。



そんなそんな

生い立ち...そのヨン

Shohei Kozaki NYNY

株式会社ニューヨーク・ニューヨーク HairMake NYNY Chokipeta 京都(kyoto) 大阪(Osaka) 兵庫(Hyogo) 神戸(Kobe) 滋賀(Shiga) 取締役営業本部長 小崎昌平 Shohei Kozaki NYNY オウンドサイト(ownd Site)

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