先日
親父から電話で
「たまには...帰ってこい」
って言うもんやから
「なんや!どぉしたんや?」
って聞くと
「大事な話があるんや」
「とりあえず帰ってこい」
っまぁー会ってしか
話が出来ひん様な事なんやろって
思ったので
とりあえず
実家に行ってきた
そしたら
ニヤニヤした顔で
コレを出してきた
ドォーヤこれ
ええやろ!
(このマークを見て何のことかわからない人はこちら.....)
って
まさか
まさか
この為に
俺を、ワザワザ呼んだのか
って
モチロン
本人に言う事は出来ず
心の中で、つぶやいた
コレの意味言うから
ちゃんとメモれ
???
なんや?意味って?
マークには
1つ1つ意味があるんや
例えば
「トヨタのマークは.....」
っと...
いつものように
30分近く
このプレゼンが続いた
なので
このBLOGで意味を説明させていただきます
(ここまでで、なんやこのBLOGって
思う人は遠慮なく、このページから
離脱下さい...)
とりあえず
外の丸は
地球の事らしい
そして内側の丸は
日の丸の丸らしい
そして
真ん中のマークは
鳩らしい
(コンドルちゃうんかい!)
全体のイメージは
鳩が平和の象徴で
NYNYが世界に羽ばたいて行く
イメージらしい
なるほど
って感じだ
なるほどと思ってしまった
自分に失望やわ!
っまぁー
俺から話す事は
何もなかったんやけど
何か言わんと
ビミョーな雰囲気なんで
「なんや、この金色は?
絵の具で塗ったんか?」
親父は俺を見て
ニコニコして
こう言った
「ちゃうわ!
金色の折り紙を
貼ってんねや!」
どぉやぁー驚いたか
って顔をしている
心の中で
おいおい
あんたはどんだけ
暇なんや
って思ったが
当然
そんな事は言う事出来ず...
「ほー凄いな」
って言っておいた
そんな
親父だが
絵を描いたら
なかなかのもんや
若い時から描いてるのを
少しご紹介
まず一つ目
ワシ?
(...?恐らくコンドル好きなん親父やわ)
つぎはコレ
なかなか上手いな
この絵
俺が小学生の時からあったんやけど
昔
姉ちゃんが親父に
「なぁーなぁーこの人って
お母さんなん...?」
って聞いた事があるらしい
そりゃ!
小学生の女の子からしたら
気になるやろな
なんせ裸の絵やからなぁ
その時 親父は
「せやぁ!」
って言ったそうだ
イヤイヤイヤイヤ!
なに言うてんねん
当時のオカンのヘアースタイルは
パンチパーマぐらい
クリクリにパーマが
かかってた!
(大阪おばちゃんスタイル)
どんなウソや!
姉ちゃんにその話された時は
鼻水垂らしながら
俺は思った
「大人はウソをつく」
しかも
ミエミエのウソを
子供やからわからんって思ったんやろな
サンタクロースの存在よりも
この絵の方が
違和感を感じたのを実家に帰ると
思い出すな...
俺の夢を返して...
姉ちゃん
親父!
そしてオカン
(オカンは未だに何も知らないはず)
話は戻して
絵ではないけど
コレ!
なんかようわからんと思うが
実家の壁
しかも昔ながらの綿壁
しかも実家と言っても
賃貸の文化住宅
借りもんやのに
親父がかってに
こんなんした!
(親父はこの賃貸の家をワシの家
って言う)
(あそこまで、こんなボロ屋を
自分の家と言ってくれたら
家主はバンザイやろな)
(もうかれこれ40年住んどる)
しかし
ダサイ!
SHOHEI って
部屋に自分の名前
書かれてみぃー
たまらんで
喜ぶとでも思ったんかな?
しかも
姉ちゃんの名前まで!
でも、いつもいつも
親父は満足気だ!
幸せなコトやな...
そしてコレ...
俺の子供の
命名紙
全部オリジナルで描く
下の絵から
文字まで
そして外枠までも
親父が創る
変態レベルに
上手い!
しかも
俺の実家と
俺の家と
オカンの家と
(オカンは親父と別に住んどる)
(何故?...想像にお任せします)
嫁の家
全部で4つ
描いてたな
しかも
デザインばらばらで
全てに意味を込めて...
この話をここに書いたら
まだまだ、このBLOGが
終われんので
次回にします
っまぁー
とにかく
孫のコトが大好きみたいだ
あと
最後はコレ!
最強の自信作らしい...
でたっ!
「高倉健」
オヤジは
ホンマに高倉健が大好きだ
小さい頃
姉ちゃんの寝るところの
枕元に
この絵を飾ってて
寝る時に
「お父さんコワイコワイ!」
って言って
この絵を裏向きにして
姉ちゃんが寝てたのを
思い出す
次の日の朝には
また、この絵
表向いてたな...
なんで
姉ちゃんの枕元に
置いといたんやろ?
このくだりが
毎日毎日毎日あったなぁー
メッチャ小さかったけど
覚えているってコトは
それぐらい
言うとったんやろな
???
未だに謎やな
小崎家の七不思議の一つに
させていただきます
そんなこんなの
俺の親父だが
30年前は
香港の九龍島で仕事してた
(何してたか知らんけど)
当時の親父は
香港では
先生って呼ばれてたそうだ
当時の俺は、まだ小学生で
何もわからんかったけど
記憶に残ってるのは常に電話で
親父とオカンが
喧嘩してたのを覚えている
なくなく
親父は日本に帰ってきて
平凡な生活に戻った
そんな親父はいつも
俺にこう言う
やりたいコトを
徹底的にやれ
親が倒れても
嫁が何を言っても
自分のやりたいことに
本気に取り組め
せやないと後悔するぞ
「寂しいけど親は先に死ぬもんや
親のせいで
自分の生き方変えてたら
ホンマにやりたいことなんて
出来ひんからな」
「お前の将来のほうが
長いんやから
俺のコトは気にするな......」
(そっち系の映画の見過ぎぐらいのコメントやな)
その言葉の通り
今の自分は
申し訳ないけど
親父のことも
オカンのことも
出来るだけの親孝行はするけど
出来るだけ自分中心に
人生を生きている
オカンは現在
沖永良部島に一人で住んでる
(沖永良部島っていったい何処やねんって感じでしょうが)
昔は
屋敷1つ潰して
(沖永良部島にはオカンの屋敷が何個かある)
美容室建てたら
って言ってくれていたが
最近は
大阪でやりたいこと
精一杯やり
って言っている
あんなに
目くじら立てて
沖永良部で商売しろ
って言ってたオカンも
ホンマに
何も言わんようになったな
自分の一生懸命で
親も兄弟も夫婦も
わかってくれるんやな
自分が親になっても
その精神を忘れん様にがんばろ!
親父 オカン
いつも感謝してます
ちなみに
親父
会社のバッチの作成は
進んでいません
ただ何人かに
「あのバッチ
創りましょうよ」
って言ってくれる人がいるわ
この人やけど
この人、少数ロットでも
創りましょね小崎さん
20000円でも30000円でも
僕、買いますから
やって
でもね
この人ね
NYNYの社員じゃないんです......
ありがたい話やな
ははははははははははははははは
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